学校紹介


                       袋井北小学校の校章

   袋井北小学校の校章は「ともえ」です。

 

 

 北小の学区には、今から510年前 久野宗隆(くのむねたか)によって作られた久野城の跡があります。
 北小の校章は「ともえ」は、この久野氏の家紋なのです。
 今から510年前 、戦国時代の武将久野宗隆は、久野の里を見わたすこの地に山城として久野城を建てました。
 久野氏は江戸時代初期までこの地を治めましたが、久野氏の家紋が「左三つ巴」(ひだりみつどもえ)であることから、「ともえ」が袋井北小学校の校章となりました。
学校や家庭、地域が「ともえ」のように連携する「ともえ教育」「ともえの子」づくりを私たちは目指しています。
 また、「ともえの子」づくりは、北小学校職員の研修テーマの1つとなっています





 1944年(昭和19年)12月7日午後1時40分 静岡県西部から三重県沖の熊野灘を震源域とする「東南海地震」が起こりました。
 この大地震により、袋井北小学校(当時は久努西小学校)では、5年生2名4年生3名が命を落としています。

 当時1年生はすでに下校。6年生以上は勤労奉仕に出掛け、学校には3,4,5年生しか残っていませんでした。
 5年生の女の子は、教室の前のほうにいた友だちを助けようとして、共に校舎の下敷きになってしまいました。4年生の3人は、教室にもどろうとして、ひさしの下敷きになったということです。

 写真の碑は、50回忌にあたる平成6年12月7日に同級生によって袋井北小学校正門の東側に建てられました。

 袋井北小学校では、避難訓練の際、この「追憶の碑」にまつわる話をして、子ども達の避難訓練に対する意識や安全に対する意識の高揚を図っています。